大阪といえば関西の中心地
この大阪の「阪」は江戸時代までは「坂」でした
江戸幕府と豊臣家の間で行われた戦で「大坂の陣」がありますね
「冬の陣」と「夏の陣」があります、こちらは「大坂」となっています
試験で「阪」を書くと間違いますよ!
ではなぜ「阪」になったのでしょう?
豊臣家がこの戦で滅んだ後、江戸幕府は大坂は直轄地として大坂城を再建
そしてどんどん栄えていき、商業も盛んになった
その商人の中には、大坂の坂の字が「土に返る」とも読めて、縁起が悪いからいって嫌うものも大勢いました
その人たちの中には、勝手に「大阪」と書く者も少なくなかったといいます。
そして明治維新後の1868年に、明治新政府は大坂をやめて「大坂」と表記することにしました。
一説では、この時の担当者の役人が「坂」は「士(武士)が反する」と読めるのでよくないからとする事もあったようです
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