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雑学

【雑学】江戸時代の貨幣「寛永通宝」は昭和28年まで使う事ができた!総発行枚数はなんと300~400億枚!

歴史の教科書に出てくる江戸時代の貨幣

「寛永通宝(かんえいつうほう)」

寛永13年(1636年)に誕生し、幕末まで鋳造されました。

230年間もの長い間鋳造され、総発行枚数はなんと300~400億枚ともいわれています。

現在の10円硬貨が昭和26年(1951年)製造開始してから現在まで約300億枚といわれていますので、かなりの数が流通していたといえるでしょう。

wikipediaより


この長い間に様々な材質などの寛永通宝が製造され、4文と1文の貨幣価値として流通していました

ちなみに江戸時代のお金は4進法

1両(小判)=4分=16朱=4000文という価値です

大判は10両です

当時の貨幣価値を現在のものに換算するとなかなか難しく

米価・大工の賃金・そばの代金から比較すると

米価だと1両は約4万円

大工の賃金だと1両は30~40万円

そばの代金だと1両は12~13万円

ぐらいになるといわれています

時期によっても違うのでなんともいえませんが

1両=13万円とすると、1文は約32.5円という事になります。

明治4年に新貨条例が制定され、円・銭・厘の通貨単位に変わりました。

そして寛永通宝1文銭は1厘(1円=100銭=1000厘)として使用できることになりました。

明治政府は1厘貨幣をあまり発行しなかったので、1厘単位の貨幣としてはもっぱら寛永通宝が使われていました。

そして昭和28年に「少額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律(いわゆる少額通貨整理法)」が制定されたことにより1円未満の通貨を使用することができなくなりました。

という事で昭和28年までは法律上寛永通宝を使う事ができたというワケです

ちなみに「銭形平次」が投げていたのもこの「寛永通宝」です

香川県観音寺市の有明浜には

周囲345メートル、縦(東西)122メートル、横(南北)90メートルの砂絵があります

銭形砂絵 wikipediaより

観音寺市HP⇒コチラ

一度見てみたいですね

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